まるでゴミ 犬を米袋に入れて

旅行に行きたいから…
飽きたから…
新しいペットを飼うから…
ペットが病気になったから…

これは、あるメディアが取り上げた殺処分の取材で飼い主の口から出た生の声です。
「いらない」という理由だけで犬を米袋に入れて管理センターへ連れてきた夫婦がいます。

犬を… 米袋に入れて  …です。


ーニュースZERO よりー

センターの職員の話し方が穏やかであるため、
この夫婦は自分のしている「事の重大さ」に気付きもしない。

職員からセンターへ持ち込むことがどういうことなのかを説明され、
考え直すことを諭されて渋々引き返そうとする夫へ
「なんで︖なんでダメなの︖」と不快を露わにする妻。

30代〜40代ぐらいの夫婦。
人として社会人として成人した人間のすることとは思えない。

夫婦とは似た者同士。
鬼畜が鬼畜と波動に共鳴して結婚。
類は友を呼ぶことからこの夫婦はまさに「⻤畜夫婦」。

「しょうがない…」

それまで飼っていたはずのペットを袋に入れる理由は何なのか。
まるで品物。ゴミ。ゴミ扱いだからこそ、胸に抱くことが出来ないのだろう。
とてもまともな精神状態の人間とは思えない。
これらの類の人間が人間として存在することに背筋が凍りつく。

獣医さんに再度意識確認を促されるもこの女は考え直すそぶりも見せず、
処分されるかもしれないと知っても「いいです」と言い放ち、
心を揺さぶられることもなく最後まで平然としている。

まさに「鬼畜」である。

もともと動物を粗末に扱う人間が繰り返す営みの中で、
動物を大切にする心が継承されないのは当然なのかもしれない。

獣医さんの悲痛な思いが深く突き刺さる。

穏やかに話しながら胸の内は穏やかではないに違いない。

日本の動物への意識改革を。

未来を背負う子供たちに、小さな命の大切さを教える。

「(心臓が)動いている間はちゃんと生きてるんだから」

「みんなにも最後まで(ペット)を飼ってほしいの」

小さくても生きている証である心臓の音を聞く子供たち。
鬼畜大人と違って子供はしっかりと犬の鼓動を聞いて、
まさに「生きていること」を感じ取っている。

どんなに小さな命でも確かな心臓の音が聞こえる。
その心臓を勝手に止めることは決して許されない。


しっかりと命の大切さを学んで
すべての動物に愛情を注げる心優しい聡明な大人になってほしい。