愛猫の旅立ち

免疫不全ウイルスをその小さな体で受け止めて

 

あの日… 我が子の頬を優しく撫でてくれた風は、あまりにもせつなすぎた。

その瞬間、何が起こっているのかわからなかった。

いつも元気で愛くるしい姿を私たちに見せていた我が子(愛猫)の呼吸が止まった。

息を引き取る7時間前、ちょうど夜中の0時をまわった時だった。
激しい痙攣を起こしそれまでわずかにも反応していた呼びかけにもほぼ反応がなくなった。

これまでも危機を乗り越えたことがあった。

もしかしたら助かるかもしれないとタカをくくっていたが、
痙攣を起こした時にはさすがに

「ああ・・・この子はやっぱり死んでしまうのだ」

そう思い知らされた。

その後はまんじりともせず我が子の体にそっと手をおいて奇跡を願った。
小さな体で精一杯生きようとしている姿は勇敢でさえあった。

最初の痙攣からおよそ7時間後の午前7時頃、二度目の弱い痙攣を起こし、
最後に大きな呼吸をした後スーッと呼吸は止まり、その瞬間から
愛しい我が子は私たちの心の中に住まいを変えた。

静か過ぎる安らかな最期だった。
いつも寝ているベッドにあまりにも穏やかに眠っている。

「さあ朝ご飯だよ♪」いつものように声をかけた。

返事がないことは十分過ぎるほどわかっているのに現実を受け止められない自分がいた。
何度呼んでも「にゃ~お」という返事はなかった。
呼んでも呼んでも懐かしい我が子の声を聞くことはなかった。

享年16歳11ヶ月

20歳を越えるまで現役で頑張ってくれることを信じて疑わなかっただけに
私たち家族の喪失感は想像以上だった。

尿結石を患った時も飼い主である私の判断ミスで手術へと追い込み苦しませた事もあった。
腎不全と診断されて以降、腎臓ケアのための食事、サプリメント、
良いといわれるものはすべて取り入れ投薬も続けてきた。
気の遠くなるほどのお金もかかったが、動物のために使うお金など全く問題ではなかった。
獣医からは「腎不全は治らない。悪化すれば薬を増やす必要がある。」と宣告されたのに
どうしてもピンとこなかった。信じたくなかった。
何とか治してやれる方法はないものかと検索の鬼と化したが、
腎不全を治す方法などどこにもなかった。
それでも元気でいてくれる我が子の姿に心の中に油断が生まれ、
いつの間にか危機感を持たなくなってしまっていた。

具合が悪くなった時は病院へ行けば良い、薬を増やせば良い.
私の中の悪魔がそうささやいた。

これが後々、深い後悔と懺悔に苛まれる結果となるとは思いもしなかった。

そもそも病院大好きな猫などいやしないけれど、
小さい頃から通っていた獣医からは「性格良い子だね」とほめられるほど大人しい子だった。

しかし、動物病院といえどやはり「人間関係」である。
その獣医との亀裂から別の病院へと方向転換をしてしまったのだった。
この時の決断に我が子の事情は全く考慮されていない。

すべて人間の都合と怠慢でしかなかった。

病院を変えてからまもなく腎不全だと診断された。
この時お世話になった獣医は決して悪い先生ではなかった。
動物に負担をかけまいとして、投薬でも注射でも一気にやってしまう。
何度も薬を吐き出して嫌がるのを無理矢理口をこじ開けて飲ませたり、
見ているこちらまでつらくなる治療だった。これが吉と出る場合もあるし、
うちの子のように凶と出ることもある。
これこそが、我が子が病院嫌いになってしまった最大の原因だった。

もともと動物病院を嫌う猫ではなかったが、この時の治療がトラウマとなって、
診察台に上がると強い拒絶反応を起こし、獣医に歯向かうようになってしまっていた。
もちろんそうさせてしまったのは誰でもない、この私である。

うちの子はきっと私に訴えていたに違いない。
「この病院は嫌だ!」 と。

それでも具合が悪いとなると、我が子の気持ちも無視して
せっせと病院通いを続けてしまった私はなんとおろかな飼い主だったのだろう。
一番迷惑を被っていたのは我が子なのに。「今の獣医で大丈夫だろうか・・・」
次第に不信感を持つようになり新たな獣医探しが始まった。

そうして出会ったのが現在の病院だった。
素敵な病院だった。何よりスタッフが素晴らしかった。
先生は穏やかで決して感情的になることはない。
かなり若いのに鋭い洞察力と確かな腕で信頼出来る。ここなら安心して任せられる。
うちの子はもうこれで安心だと胸を撫で下ろしたのもつかの間だった。時すでに遅し。
体は修復不可能な状態にまで悪化していたのだった。
2013年、免疫不全ウイルスの陽性と診断。腎臓の数値はかなり高かった。
この時の診断結果に危機感を持って真摯に向き合ってさえいればもっと長生き出来たはずだった。
愛する我が子の死期を早めてしまったのはあろうことか飼い主である自分自身だった。

この日本の犬猫を殺処分に追い込んでいるおろかな飼い主と同じだ。
一進一退を繰り返しながら症状は確実に悪化への一途を辿っていった。
4月、急激に体調が悪化。3㎏前後が普通だった体重は1㎏も減少。

大嫌いな点滴治療。食欲増進剤や抗生剤でかろうじて体調を維持。
5月3日…数ヶ月ぶりの毛づくろいを私に見せてくれた。
元気な時は見ている方が疲れてしまうほど毛づくろいばかりしていた子だったけれど、
体調が思わしくなくなってからはほとんど毛づくろいをしておらず、
そんな状況下での毛づくろいは奇跡が起こるかもしれないという錯覚を覚えるほどだった。
体調は一進一退の中でかろうじて維持していたものの、5月半ば頃からさらに体調が悪化。

さらには小康状態が続いたある朝、突然私たちの前から姿を消した。
猫は死期を感じると人間の前から姿を消すといわれている。
動物は自分の死期を本能で感じ取れる。まさにそれだと思った。
自分の死期を悟って自ら姿を消したのだと。
たとえそうだとしてもあまりにもあっけない。
16年も一緒に過ごしてきて看取ることも出来ないなんて…。こんな別れ方は残酷過ぎる。
気が狂わんばかりに家の周りを探したが見つからなかった。
しばらく探して諦めかけた瞬間、どこからともなく帰ってきた。
痩せ細ってフラフラしてはいるものの、その愛くるしい顔を目にした瞬間、
心臓が破裂するほどの安堵感が私を襲った。

外の空気が大好きな子だった。
サンルームで太陽の光を浴びながら昼寝をするのが大好きだった。
家の周りや畑がテリトリーでパトロールは毎日の日課だった。

姿を消したのは「この世での最後の仕事」をするためだったのだろう。

フラフラ状態でお風呂場へ行き大量に水を飲むもののすぐに脱衣所でおしっこ。
腎臓が完全にアウトであることの証明だった。
病院で診察を受けた時はすでに35度の低体温。もう時間の問題だったのだ。

先生には「あまり長い時間は一緒にいられないかもしれない」と言われたが、
その言葉を真剣に受け止めていない私がいた。

「そんなはずはない。これまでだって危険な状態から何度も生還したんだもの…
今回だって助かるかもしれない。まだまだしてやりたいことがたくさんある。
まだまだし足りないことがたくさんある。
もう一度おいしいものをたくさん食べて、おいしい空気をいっぱい吸って、
あたたかい太陽の光を浴びて気持ちよく昼寝をしてほしい。我が子よ。
あなたはまだまだ生きられる。もう一度一緒に頑張ってみよう。
生きてきてよかった。本当に楽しかった。ありがとう。そういえる最後であってほしい。」
声にならない声が私の全身を駆け巡っていた。

旅立つ前日、ほとんど歩くことは出来なくなった。
せめて外の空気をと、大好きな畑の乾いた土の上にそっと寝かせる。
穏やかで澄み切った空の下、優しすぎるそよ風は我が子の頬をせつなく撫でた。
もう二度とこの世で感じることはないであろう大好きな畑の土の匂いとさわやかなそよ風、
暖かい太陽の日差しはどこまでも優しかった。

この時の穏やかな太陽と優しい風は今でも私の胸を強烈に締め付ける。

ほとんど歩くことが出来ない体でありながら、
ヨロヨロと台所へ来ていつもの指定席に上がろうとする。
この時の我が子の目は生き生きとして数十時間後に旅立ってしまう事など
全く感じさせなかったがそれは錯覚でしかなかった。
結局指定席へ上がることは出来ず、手を貸すことも間に合わないまま落下。
上がりたいのに上がれない…何で上がれないのか…
本人は不思議な感覚を覚えたに違いない。
我が子がどんな思いでよろめきながら台所へ来たのか。
私にはその気持ちを思いやれる余裕がなかった。
大切な我が子の体調悪化をどうしてやることも出来ない自分に
どうしようもなく腹が立った。

これまでも危険な状態を乗り越えてきた。
きっと今回だって持ち直してくれるかも・・・
そんな考えの甘さが最悪の状況へと追いやってしまった。

もはや命尽きようとしている我が子に、絶望的な奇跡を信じて
水素水をシリンジで飲ませるような最低の飼い主だ。
この行為が寿命を縮める要因のひとつでもあっただろうに。
おろかさを越えたどうしようもない馬鹿で無知な飼い主だったのだ。

これが飼い主といえるのか。

数日前まで廊下の柱で爪とぎをし、台所の指定席へ楽々と上がっていたのに
いよいよなのか・・・

今年の正月、私は我が子を見て何となく嫌な予感がしたのだった。
それまで感じたことなどなかったのに、なぜか「違和感」を感じたのだった。
それが何なのかは全くわからなかった。思えばあれは「異変」のシグナルだったのかもしれない。
我が子が死んでしまうなんて考えられない。何か悪い夢を見ているのではないだろうか。

深夜0時、突然痙攣を起こす。全身の力を振り絞って低いうめくような声を出す。
これが、この世に残した最後の声だった。先生が仰っていた通り、
まさに全速力で疾走するかのごとくの痙攣だった。強く押さえつける事はせず、
体にそっと手を当てて名前を呼び続けた。

最初の痙攣が起こった0時15分、覚悟を決めて家族を起こし最後の声をかけてもらう。
大好きな家族の声に見送られ旅立つ愛しい我が子よ。
私は最低の飼い主だった。
他の飼い主であったならもっと健康で長生き出来ただろう。
もっと幸せだったことだろう。許しておくれ。
遅すぎる懺悔の声が体内を逆流していった。

激しい痙攣の後、静かな呼吸で落ち着いてはいたが、その姿は、
「こうして命が尽きる」のだという序章のようでもあった。
朝方7時10分 二度目の痙攣。一度目よりも弱い。
もう激しい痙攣を起こせる体力もない。
呼びかけには全く反応がない。呼吸が止まるその瞬間、深い呼吸を二度ほどして、
三度目の呼吸をすることはなく、そのまま眠るように旅立った。

2014年5月27日 午前7時27分 永眠。 あまりにも静かすぎる最期だった。

16歳は長寿だといわれるが、まだまだし足りないことだらけの私にとっては短すぎる猫生だった。
体を綺麗に拭き、いつも昼寝をしていた指定席へ安置する。
尻尾と背中の一部の毛と両方のひげを1本ずつ取らせてもらった。今後の戒めとするためだ。
「自然に治ってくれるのでは」という甘い考えが治療を遅らせる原因となった。

11時15分、お世話になった病院へ電話を入れる。
看護師が先生に電話をつないでくれて先生と直接話すことが出来た。
先生の声を聞いた途端に号泣。診察中の忙しい時間にも関わらず、
しどろもどろの私の話をきちんと聞いてくださった。
決して感情的にならず、飼い主にも動物にも誠心誠意接して下さる本当に素晴らしい先生だった。

「ごめんね」じゃなく「ありがとう」で見送ってあげて下さい。と言われた。
それでもやっぱりその時の私には「ごめんね」しか出てこなかった。
ありがとうと言えるような優秀な飼い主ではない。

本音を言えば老衰で逝ってほしかった。
旅立つ数日前、家族の部屋の布団の上で気持ちよさそうに寝ていた。
さらには、早朝、私の部屋のベッドの枕元に来てじっとしていた。
何かを察してお別れでも言いたげに。

弱りきった体で大好きな台所へ来て、私の食事の準備を見守ってくれた我が子。
どうしてやることも出来ない自分へのイライラから声を荒げたこともあった。
生後間もなく捨てられていた我が子。迎えた頃は無知極まりない飼い主だった私。
猫の食事についても今ほど徹底していなかったし、平気で粗悪なフードを食べさせていた。

その頃の食事が今の我が子の体を作ったのだとしたら、やはり、
私が我が子の死期を早めたともいえる。
それだけではない。完全室内飼いを徹底しなかった事、わずかな異変を見過ごした事
明らかな異常を軽視した事、何よりも動物の声に耳を傾けなかった事。

私は動物を冒涜し続けてきたのだ。心無き飼い主を責める資格がどこにあるというのか。

私こそ飼い主の風上にもおけない最低な飼い主だったのだ。
ずさんな環境下で育ててしまったのだから今さら泣いても吠えても仕方がないのだ。
我が子に対して心からの懺悔と感謝を捧げ、これから生きていくべきだろう。

私がすべきことは泣いたり吠えたりすることではない。
二度と同じ失敗をしないよう、動物への意識を高めていく事だ。
腎不全、免疫不全ウイルスの陽性だったことは確かであるけれど、
実際のところ我が子の死因は不明である。
亡くなる数週間前、突然、顔の半分が腫れ上がり眼球が突出したかと思うと、
腫れた部分から膿が流れ出たりと、原因不明の疾患にも見舞われた。
そんな症状が続く中、対症療法としてその都度治療を受けてはいたが、
検査もストレスになるのでは…という人間の勝手な判断で検査を受けるまでには至らなかった。
しかし、結果として症状を悪化させてしまったことは事実だ。
死因さえも突き止めないまま我が子を土にかえしてしまった。
つらい思いをさせても、詳しい検査を受けてしっかりと治療すべきだったのか、
自分の判断が正しかったのか間違えていたのか…  わからない。

どうしてやるべきだったのか… どうしてもわからない。

我が子が千の風になってから半年になろうとしているが未だに懺悔と後悔は拭えていない。
こうして投稿出来るまでに五ヶ月もの月日がかかった。
「自分の胸の中に生き続けてくれている」と何とか心から思えるようになったからだ。

大切なのは自分の飼い猫、飼い犬だけではない。

「生きている」だけで殺処分されてしまう犬猫とて大切な命。何としてもすべての命を助けたい。
とはいえ…あまりにも無力過ぎる私にいったい何が出来るのか。
現在の日本の、愛護センターとは名ばかりの
殺処分場に身を置かれているすべての犬猫をどうしたら救えるのか。

もはや飼い主の意識改革などと訴えている余裕はない。

すべての犬猫がその寿命尽きるまで生きられる生涯飼養施設を造るにはどうしたら良いのか。
なぜ我が国日本は税金をかけてまで動物を殺すのか?なぜ動物を救う為に税金を使わないのか?
なぜ平気で口の利けない動物を殺せるのか?

動物への意識の低さにおいては、自分が日本人であることを残念に思う。
どうしたらすべての動物を救えるのか。

今こうしている間にも、大切な命が奪われているというのに…いったいどうしたら…

我が子よ。私に力を与えてほしい。すべての動物を救える力を。

2014年11月27日

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